岡田と落合。相いれない印象がある。試合前のメンバー表交換で言葉を交わしたことは、ほとんどなかった。目も合わせなかった。これは他球団の監督に対するのと、全く違う対応だった。巨人の原、広島のブラウンらとは言葉を交わす光景が何度も見られたのだから。 (吉川学), 【注釈1】V9を達成した巨人。1972年のオーダーは1柴田2 高田3王4長嶋5末次6黒江7森8土井9投手で左打ちは王、森の二人だけ(柴田は両打ち)だった。  右打ちの中軸を揃えたほうが強いと言い切れる明確な理由は何か。 今日の朝スポーツ紙は予想はずれで、1面がWEBに載ってなかった。載るもんだと思ってたので、前文のみ掲載していたのだけれど、全文をこれより。, 5年間の竜虎決戦を直撃  外野手のフォードを見限ったのも中日戦である(注釈3)そのフォードの不振が実は金本にも影響していたと岡田は打ち明ける。  岩瀬と藤川。阪神にも中日にも他球団がうらやむ絶対的な守護神が君臨する。投手を中心とした守りを絶対おろそかにしない野球哲学。似たタイプのチームを率いる将だから、その采配を理解できるのである。  『別に変わったことはしてないやろ。オレ流、オレ流と言うけど、普通と思うけどな、ある程度勝つためには、こういうことをしたら勝てるという、そういう自分の考えをずっとやっているだけやんか。そんなの奇襲とかもないしな。最初(2004年)川崎の開幕投手という、ちょっと変わった落合流みたいな起用をしたが、そういうイメージを与えておいて、やっていることは、当たり前のことを当たり前に出来たら勝てる、というような、そういう野球やろ。だから別に変わったことはしていないよ』    【注釈2】今年が来日初年度のアッチソンは7月上旬までは先発専従だった。中日戦は4月8日(甲子園)が7イニング1失点で勝利投手となり4月22日(ナゴヤドーム)は6イニング6失点で敗戦投手。7月1日(甲子園)は5回途中で同点を許し、降板。岡田監督は『あの回を抑えていたら勝利投手の権利があるところで、先頭の荒木に四球。どういう気持ちで投げているか、わからない。こんなしょーもないゲームにしたら、勝てんで。ゲームに勝ったらええ、と言うことじゃない』と酷評。これが先発最後となり、2軍で再調整したあと、8月上旬からセットアッパーとして成功した。 現役から接点はなかった。入団は落合が1年早いがオールスター戦出場は岡田が早かった。一緒に球宴出場を果たしたのは1981年。第1戦(甲子園)ポジションは同じ二塁。打順は岡田が7番、落合が6番でスタメン出場している。『そうやったん。  そういう野球観もあって、外国人投手もその対策を考えた補強を貫いてきた。岡田が就任してから獲得した外国人は右腕ばかり。2007年はジャンとボーグルソンが加入し、この二人を開幕から中日戦に先発させるローテーションを組んだ。  岡田が阪神監督を務めた5年間、優勝したチームを年次に挙げると中日、阪神、中日、巨人、巨人。強敵の中日と巨人に対して、岡田は対照的な戦略を練っていたわけだ。では、落合監督の『オレ流』をどう、とらえていたのだろうか。 倉持 今の球界で理想的なホームランを打つ選手は誰ですか? 落合 理想的なホームランは、打球の質とか打ち方で言えば西武の中村剛也。 吉田 あぁ、落合さんの理想のようなバックスピンをかけて。 落合 あれは理に適ってると思う。何年かは怪我で数字が伸びてこなかったけども、あの打ち方だけは他の人は真似てもいいと思う。 倉持 今シーズンは序盤に調子が悪くて夏ぐらいから上がってきましたよね。 吉田 まさにホームランバッターというホームランですかね。 落合 どっちかと言えば教科書通りじゃない …  補強の考え方が、岡田と落合は似ているのではなかろうか。ウッズの争奪戦も右打者が必要だったからだ。岡田もまた右のクリーンアップ最強説を強く唱える。  交流、親交のない間柄になった契機として、岡田が労組プロ野球選手会の会長を務めていた当時のことが取りざたされていた。選手会を脱会した落合が選手会が導入に尽力したFA権を行使して中日から巨人へ移籍したからである。どこか対立の構図をうかがわせた。, ーFA仕方ないー  -奇襲とかないー 落合監督&信子夫人“ぶっちゃけ対談”大逆転Vの裏側「全てはそこから」 [ 2011年10月19日 08:11 ] 野球 横浜 競合覚悟で1位指名は藤岡か野村 『そら、どっち(右投手と左投手)にも対応できるっていうかな。どうしても、左打者が最初に、ある左投手に手こずったら、それが続くってこともあるしな。最初から左投手を打っていた左打者っておらんやろ、そらやっぱり、慣れよな。慣れるまでが大変。ワンポイントって左投手だけやんか。右投手のワンポイントっていない。左ばっかり。それも昔から変則投手が多い。永射(西武)とか角(巨人)とか。巨人時代の松井(現ヤンキース)だってウチの遠山を打てんかったやろ。左投手を打つのはあんまり練習できんからな』, -左打ちの子ばかりー (敬称略=つづく).  ベンチでの姿も違う。ポーカーフェイスで表情を変えない落合に対して、岡田は喜怒哀楽が出る。勝負どころで快打が出ると、少年のように無邪気に喜ぶ。それなのに野球観は『似かよっている』と自認する。現役から接点はなかった。入団は落合が1年早いがオールスター戦出場は岡田が早かった。一緒に球宴出場を果たしたのは1981年。第1戦(甲子園)ポジションは同じ二塁。打順は岡田が7番、落合が6番でスタメン出場している。『そうやったん。ロッテ時代の印象言うても、まず3冠王の数字やな。85,86はバースとともに3冠王やったろ。数字しか知らんし、まあスポーツニュースとかで見るくらいやったから。あの当時、ロッテの本拠地は川崎球場やったろ。あんな右方向にそないして簡単にホームラン打てるんか、という印象やった。オレらは川崎球場にほとんど行ってない。オープン戦ぐらい。川崎球場をあんまり知らんから、エライ簡単に逆方向へホームランになるな、と思ってたよ。バットコントロールは良かったんちゃうかな』。, -運ぶ打法意識ー 『今年はカネ(金本)に待て のサインを出したよ。後ろの打者が悪くなると、カネは強引にいきよるからな。フォードが5番の時、相手が左投手でワンスリーから低めの変化球をボール気味の球でもわざわざライトへ犠牲フライを打ちにいったり、な。甲子園であったわ。フォードがあんまり良くないからカネがコメントしたこともあったけど、それでフォームとか調子を崩されるのが一番怖い。だから、あんまり無理させんようにしたよ。待てのサインで四球でもいいと言う判断よ』  -記録関係ないー  岡田は393勝307敗18分けの勝率5割6分1厘4毛2糸。落合は394勝308敗16分1厘2毛5糸。1毛7糸と言うほぼ互角ながら凌駕したのは事実である。 落合は「7人の監督に仕えたが、野球を教わったのは山内(一弘)さんと稲尾さんだけ」と振り返っている 。 野球 [ 編集 ] 通算500安打、1000安打、1500安打、2000安打を達成した際の安打はすべて本塁打で …  補強も同じ考え  『今年は今岡に、もうあんまり言うこともなくなっていた。06年、07年と2年間言うてきたから。もう1回走りこんだり、いろんなことを言うて復活を目指したけど、今年の開幕から使って打てなかったら、もう代えようと思っていた。一人の選手に3年間も辛抱できんから、ポジションが空いたら、そこを取ったる、と言う選手もおるわけやから。今年はもう限界やったな。とにかく4月、いいスタートを切ってほしかったんやけど。そりゃ選手はスタートよ。どっかすごいヒーローインタビューになるような場面で初ヒットが出たり、な。代打にしても、そうや。何かそういうキッカケで、いいスタートが切れるんやから』, ーわずか1毛7糸差ー  今年のパ・リーグ制覇となり、日本シリーズを制した西武も中島、中村、GG・佐藤と中軸は右打者が揃っている。  広島の黄金期のクリーンアツプは衣笠、山本浩と右打ちが連ねていた。80年代の西武も清原、秋山、石毛、辻、伊東ら右打者が多い。90年代の野村ヤクルトも池山、広沢と右打ちのクリーンアップを編成していた。 『最近小さい時からすぐに左打ちにしたがるやろ。右投げ左打ちが多いんよ。ドラフトの時、ホントよう分かるよ。右打者おらんもん』 この日のvs.西武戦で決勝打を放った東京ヤクルトスワローズの雄平について、そして後半では中継ぎ陣について平松政次、笘篠賢治、デーブ大久保が語... この日のvs.阪神戦で抑えピッチャーとして起用されて2失点した北海道日本ハムファイターズの有原航平について野村弘樹、平松政次が語っています。... 残り2試合、中継ぎボロボロの巨人について真中、平松、大矢が語る 2018年10月1日.